2004年7月20日(火)

浪速貨物 ◆

過去の旅行記を復活!
今回は2004年7月に訪問した、今は廃線になってしまった大阪臨港貨物線の浪速貨物駅を紹介します。
旅行記といっても、家から近いところにある、浪速貨物駅
なので旅ではないのですが・・・
当時の写真と記憶を頼りに、復活させます。

浪速貨物駅は大阪環状線弁天町-大正間にあった境川信号所から分岐していた貨物線で、古い歴史を持ちます。
主に大阪港に陸揚げされたレールや砂利の運搬に使われていた貨物線で、機能を安治川口駅にうつされ、使用用途が激減。
晩年は錆取り列車が1日1往復百済貨物から多さ環状線を経由し浪速貨物まで臨港貨物線を走っていました。
百済貨物駅初の臨港貨物線に入る機関車DD51の単機の走行を、新今宮の駅でよく見たものでした。

そんな大阪臨港貨物線の浪速貨物駅に訪問したのは2004年7月20日。
えきのてにもリンクを貼っているアンフォルメのシロさんと、夜遊びの帰りだったか何かで、ふと寄る事になりました。
運良く、作業員の方が構内で作業中。
入っても写真とってもいいよとOKを頂き、お言葉に甘えヤード内に入らせていただきました。
当時はまだ使用されており、廃線ではなかったので、閑散としたヤードに貨車が留置されていました。




二軸有蓋貨車ワム80000と事業用貨車(車掌車)ヨ8000が留置されています。



ヨは2両。
ヨ8889号機とヨ8882号機。
今はないですが、昔は長い貨物列車に連結されていた車掌業務を行う車、これがヨ8000なのです。
従って、一般客が乗る事はありません。



今回はこのヨ8882を紹介します。






作業員の方に許可を頂き、特別に中を見学させていただきました。
ただし、入っていいのはヨ8882号機だけで、この後解体するから、多少無茶しても大丈夫だとか【笑】
もうひとつのヨ8889号機は転売するので触らないでくれと。

それでは、ヨ8882号機にお邪魔します!
入ってすぐのところに、灰皿!?
いやこれはストーブjか??



トイレあるじゃない!!
外から見ると、線路垂れ流し方式でした!



車内には4人がけボックスシートと、折りたたみテーブル。
ここで真面目に仕事をするのでしょう。



ストーブと、なにか良く分からないエネルギータンクのようなもの【汗】
いや、そこまで詳しくないので・・・スミマセン。



当時は何が何やら良く分からないまま、どこを撮影していいものやらも良く分からないまま、見学終了。
だってこの当時、まだ駅ノートなんて描いてなかったんですから・・・
ただ当時の私でも、これがヨ8000に乗れる最後の機会だという事だけは分かりました。

さて、車掌車ヨ8000から出た私たちは、ある鉄の廃材が目に留まりました。
車軸と、さっき見たのと同じ色のシートが2つ・・・
これは、もしや!



すでに先に解体されたヨの残骸でした・・・
テールライトの台座が生々しく残っています。



台車が残っていました・・・
ブレーキをかけるために車輪に圧力をかける装置・・・いや簡単に言うと自転車のブレーキ!
その、ブレーキシューがコロリと脱落しています。



今乗ったヨ8882号機も、この後こうなってしまうのか・・・・と思うとなんだか寂しくなってきます。
そう思って、作業員の方に「この車両中古で1台いくらするんですか?」と聞いてみたところ・・・
「1台30万円ですよ。」
え?1台30万円?安いやん!
でも良く聞くと、運送費が200万円以上だとか・・・
そうですよね、本体安くても運ばなあかんし、置き場所の問題もあるし、色々考えると手が出せないですよね。

ところで作業員さんですが、コンテナ車に何かを詰め込む作業をされています。



ワムの中はこうなっています。
結構広いですね!!



ワムに鍵です。



作業員の方と話をしていると、分岐器の話になりました。
分岐器とは線路を切り替えるポイントの事です。
これです。



ポイントには何種類かあって、これは油圧式のポイントだそうです。
レバーの操作で間単にポイントが切り替わります。
操作させてもらったのですが、確かに簡単にポイントが切り替わりました。



これがポイントの制御部分でこの中がギア式になっていて・・・・といいろ説明していただきました。
当時の私には何がなにやら・・・・



あと、近くにあった普通転轍器、通称ダルマポイントも操作させてもらいました。
意外と重たかったのを覚えています。
その時の写真がないのが残念です。

2004年11月9日(火)

浪速貨物付近 ◆

浪速貨物駅訪問から3ヶ月ほど経過した、2004年11月9日。
ついに、この臨港貨物線が廃止になり、長い歴史に幕を下ろしました。
信号機や踏切などの設備をそのまま放置するわけにも行かないので、その日の夜に踏切が撤去されました。



踏切のバツマークが取り外されました。



踏切の機能を殺しているところ。



作業トラックには各地で撤去された踏切が積み込まれています。



これでこの踏切もおしまい。



2012年12月現在、臨港貨物線は一部の敷地を残して跡形もなく消えました。
車掌車の見学をした浪速貨物駅は、ヤードが撤去されロジ関係の建物が立ち並び、当時の面影はありません。
ただ一箇所だけ、尻無川からの運河にかかるこのガーター橋だけが撤去されずにそのままの形で残っています。
見ての通りの朽ち果て具合ですが、今でも原形をとどめている鉄道遺産がこれです。



面白いのは、この橋は現役の頃から、運河が満潮になるとガーターの部分まで水に浸かります。
別のサイトでは、ひたひたまで水に浸かったガーターの上をDD51が通過する写真もありました。
橋の両サイドは防潮堤があり防潮門ががしりと閉まっています。
壁に書かれた「汽笛」の文字がうっすらと当時の名残として残っています。
通過する際に警笛を鳴らしながら通過したのでしょう。