2007年3月24日(土)
想い出のあまるべ号は豊岡を出発し、ゆっくりなペースで山陰本線を余部鉄橋・浜坂方面に進みます。
城崎温泉駅を越え、竹野駅を過ぎたところで、ますます風雨が強くなってきました。
そして余部鉄橋の2つ手前の駅、香住駅で風雨が強くなったために運転見合わせになりました。
「余部鉄橋の風量が規定値を越えたため、風がおさまるまで停車します」と車内放送。
車内から落胆の声が聞こえましたが、そんなのお構いなくこの隙に、もう一度列車を撮影します。
やっぱ、DD51、この重厚感がすごく格好いいよ!
あらためてヘッドマークを撮影。
駅の外にも出てみました。
カニのツメのオブジェが、なんともカニの産地、山陰らしいです。
列車の案内看板は今は電光掲示板が主流ですが、この頃はまだ
パタパタが現役。
臨時普通浜坂行きが、今乗っている想い出のあまるべ号。
あれ?臨時快速じゃなかったっけ?
このパタパタを見ると上下線の普通城崎温泉行きと、特急はまかぜ浜坂行きを、先にやり過ごしてから想い出のあまるべ号が発車になります。
改札側のホームから、想い出のあまるべ号を撮影してみます。
乗客はホームに出て、出発を今か今かと待っています。
風がすこしおさまってきた頃、「もしかしたら動くかも・・・」一瞬そんな情報が流れたので、ホームに戻ります。
ホームのパタパタ。
やっぱり臨時普通になっています。
臨時快速だとばかり思っていましたが、臨時普通だったのかな。
とりあえず、自分のシートに着席しました。
車窓さんが忙しくされています。
あぁ〜・・・車掌さんに詰め寄っても列車が動くわけないのに・・・
窓を開けてみます。
あ、なんだかこの感じ、すごく好きです。
そこに後から来た特急はまかぜがやってきました。
2004年現在はすべての特急はまかぜはキハ189系に置き換わり、このキハ181系は廃車になっています。
今やキハ181はまかぜは。貴重な写真になりました。
このはまかぜも、風規制で香住駅で足止めを食らっています。
でも、そこにやってきたのは、この駅で交換となる普通列車の城崎温泉行き。
あれ、この列車が来るということは、余部鉄橋を渡ってきたということ!
もしや運転再開も近いかな!?
少しだけ期待しちゃいました。
でももし運転再開になったとしても、まず優等列車の特急はまかぜを先に発車させ、格の低い臨時列車はその後の発車になるはず。
まだまだ、運転再開の道のりは長い・・・・
香住駅で落ち着いてしまった、想い出のあまるべ号DD51。
側面を見てみます。
あっ、タブレットキャッチャーだ!
窓ガラスには保護の網が取り付けられています。
結局この日は、思い出のあまるべ号は香住駅から先に進む事はありませんでした。
香住駅で、1時間程足止めの後、運転取り止めとなってしまいました。
お天気には勝てませんね。
乗客の落胆のため息が聞こえる中、私はもっと深刻な問題に・・・・
「この先、出雲市まで行けるのか?」
香住 → 浜坂 → 鳥取 → 米子 → 出雲市 ◆
「想い出のあまるべ号はこの駅で折り返し運転の為、これから機関車の付け替えを行います。」
そんな案内放送が流れ、ファンの方々が機回しの様子を見物しようと移動されてる中、私は携帯電話で乗り継ぎ時刻を調べました。
余部鉄橋を渡れない場合、来た道を引き返し、和田山より播但線を抜け、姫路から岡山まで新幹線、さらに岡山からやくもで出雲市に抜けるコースになります。
いったん瀬戸内に抜けて大きく迂回するコース。
こうなった場合は、出雲の友達には悪いが行けなくなった旨を伝え、旅を中止にしよう。
そう決めて、ぎりぎりまで香住駅で待つ事にしました。
運転見合わせの特急はまかぜがどうなったかは覚えていません。
そんな中、代行バスの案内がありました。
駅前で待つこと少し、代行バスがやってきました。
結局この駅で待った決断が正解で、代行バスも窓際のいい席に座れました。
このまま、浜坂まで行けるようです。
待ち時間に浜坂からの乗り継ぎも調べてみると、
定刻より1時間遅れで出雲市駅に到着できそう!
これなら旅を中止せずにすみそうです。
代行バスは、浜坂方面に進むにつれ、風雨が強くなってきます。
このまま下道を走り続け、余部鉄橋が見えてきました。
ほんとはこの鉄橋の上を列車で走る予定でしたが、
まさか下から見上げる面白い結果になりました。
餘部駅を越え、どこにも立ち寄らず、結構長い事バスに揺られたと思います。
バスは浜坂駅に到着しました。
乗り継ぎの時間にも間に合いましたが、乗り継ぎの列車も少し遅れています。
鳥取行きの普通列車、キハ47に乗車します。
手順に、余部鉄橋を渡っていれば、この1つ前の列車に乗り継げたようです。
発車まで時間がありますので、少し駅を撮影します。
駅の案内板は反転フラップ式案内表示機、いわゆるパタパタです。
2014年現在このパタパタも撤去されLEDに変更されていたと思います。
そしてホーム端の残るSLの給水塔は2014年現在も現存しています。
上下線の関係で、この列車も出発時間が少し遅れたと思います。
列車は浜坂駅を出発しました。
おなかも減っているので、ここで浜坂駅の駅弁、かにめしを頂きます。
東浜駅を通過します。
また天気が悪くなって風も強くなってきました。
岩美駅では、上下線の列車の交換です。
すごく珍しいキハ33を、この時はじめて見ました。
キハ33系は50系客車の改造で、2両しか作られなかったレア車両です。
現役を退き、2014年現在は津山機関区に展示されています。
この時はまだまだ現役で山陰本線を走っていました。
少し遅れましたが、鳥取駅に着きました。
さて、乗り継ぎの列車は・・・
強風のため、この先全線運休との事でした。
出発信号がゆれるくらいの強風です。
ホームには人の姿もまったくありません。
鳥取駅は電化されておらず、架線がないので、すごくすっきりとした駅で、人がいないとすごく寂しい感じがします。
その後、奇跡的に風がやみ、運転が再開になりました。
もちろん予定よりもかなり遅れていましたが、ここまで来たので行けるところまで行こうと思います。
乗り換えはこの先、米子駅で1回。
もし米子駅から先の列車が無くても、お願いして友達に米子駅まで来てもらうか、米子駅で泊まろうと思います。
米子行きの普通列車に乗車します。
キハ47のタラコ色でした。
列車は途中、大山口駅で、完全に強風のため運転見合わせになりました。
30分ほどで運転再開になり、2つ先の伯耆大山駅まで徐行運転し、米子駅に着きました。
徐行運転のおかげでかなり遅れましたが、米子駅では乗り継ぎの列車が待っていてくれていました。
出雲市行きに乗り換えます。
右が乗車して来た米子行き、左が出雲市行き。
両方キハ47です。
この先は、強風の影響は無く、やっとの思いで出雲市に到着です。
21時半ごろだったと思います。
出雲市駅まで来ると少し列車の種類が変わってきます。
この先山陰本線を走るのは、キハ120が主流になります。
写真左に止まっている白い顔の車両です。
そして快速アクアライナーで使用されるのはキハ126、これは2014年現在山陰本線で運用されている快速ジオライナーと同じ車両です。
待たせついでに、出雲市駅の写真だけ撮ります。
玉造温泉 → 米子 → 新見 → 総社 → 岡山 → 網干 → 大阪 ◆
2007年3月25日(日)
出雲の友達とうまく合流し、ご飯やドライブやカラオケやらで一晩付きあってもらい、翌朝は玉造温泉駅まで送ってもらいました。
ここで友達とはお別れし、大阪に帰ります。
玉造温泉駅はその名の通り、温泉駅ですが、駅前は普通の町で玉造温泉にはバスで行かなければなりません。
城崎温泉駅とは違い、温泉の玄関口です。
ほとんど睡眠も取れなかったので、米子駅までの間、車内で爆睡です。
目が覚めると米子駅でした。
帰りはここから伯備線を通ります。
米子駅の車庫に当時でも珍しい編成の気動車が停車していました。
先頭からキハ58と、2両目3両目はキハ37。
すごく面白い編成でした。
もと急行車両のキハ58。
(木葉きろはさん、キハ58とキハ28の違いを教えてくださってありがとう!素人目には同じにしか見えませんでした・・・【笑】)
こちらは、キハ37。
2014年現在はもちろん廃車になっていますが、当時も保留車として運用されていなかったはず・・・
今思えば、なぜここにいるのか、なぜこんな編成なのか不明です。
後ろにキハ47の大群、その前に控える電気機関車EF65。
列車の遅れも無く、伯備線を岡山方面に向かいます。
昨日とは打って変わっての晴天。
手順に新見駅に到着しました。
新見駅まで乗車したのは115系のワンマン改造の車両、115系1000番台。
前日に乗った113系のワンマン改造と、よく似ています。
時間があるので、新見駅前を散策します。
新見市の玄関の駅で、駅前は商店が立ち並び活気があります。
新見駅からは115系の岡山行きに乗車し、途中、総社駅まで向かいます。
総社駅からは吉備線の旅を楽しみます。
吉備線に運よく入ってきたのは、おとぎばなし号。
キハ47のラッピング車両です。
この沿線には桃太郎伝説があり、吉備団子もこの辺りの有名なお菓子です。
ところで、岡山駅いろんな種類の吉備団子が売られています。
マスカット味がすごくおいしいですよ!
列車は里山の景色の中、吉備路を進みます。
吉備津神社のある吉備津駅。
この旅の数年後に、初詣にこの駅を訪れたことがあります。
岡山県を代表する大きな神社です。
吉備線の終点、岡山駅に着きました。
岡山駅にしては小さいですが、これは裏側の出口です。
2014年現在、岡山駅はかなり整備されていて、この駅舎がまだ残っているかどうか分かりません。
この後、混雑を避けるために赤穂線経由で大阪に帰りました。
この旅では、なんとか無事に友達との約束を果たせたのですが、
想い出のあまるべ号で余部鉄橋を越える事がで着なかったのが、今でも心残りです。
既に廃車になっている車両や運よく撮影で来た車両など、今や貴重な資料です。