2008年10月11日(土)

佐久海ノ口 → 美里 → 乙女 → 小諸 → 軽井沢 → 横川 → 高崎  → 前橋大島 → 高崎 ◆

海ノ口温泉を楽しんだ後は、小海線を小諸方面に進みます。
この日は高崎駅まで進む予定です。

佐久海ノ口駅から乗車した列車は、お目当てのキハE200系ハイブリット車両です。
当時はハイブリット車両は、とても斬新な車両でした。
財神の車両に揺られること、列車は長野新幹線と交差する駅、佐久平駅に到着しました。
新幹線を使うと高崎はすぐなのですが、新幹線は使わずに素通りです。



美里駅で下車します。
下車理由は駅ノート設置駅と聞いたからだったと思います。
当時は結構必死に絵を描いて回っていたんですが、どれもこれもひどい絵でした・・・
当時の記録にも、
「駅ノートはローカル線の駅待合室などによく置いてあります。
いろいろな人が下車して、いろいろな旅の思いが綴られてあります。
中にはすごくイラストが達者な人もいれば、忘れられない名台詞を残されてる方もいます。
私も、「ここにきた証」として、一番印象に残った風景をイラストで残すようにしています。」
と記録していたほど、熱心でした。

美里駅でハイブリット車両キハE200系をお見送りします。



美里駅は結構人がいます。
年齢層は低く学生さんらしき人が多かったです。




美里駅は1面1線の棒線ホームで、ホーム佐久平よりに跨道橋があります。



待合室には駅ノートが設置されていました。
結構、落書きが激しかったように覚えています。



駅ノートを描いた後、後続の列車で乙女駅を訪問します。
美里駅→三岡駅→乙女駅 とあっという間に到着です。
乙女駅にも駅ノートがあり、名前の響きと乙女湖公園を見に行こうということで下車したのだとおもいます。



乙女駅は和風な感じの小さい待合室が特徴です。
またホームから公園に直接入れる出入り口があり、乙女湖公園を散策することができます。
乙女湖公園は、乙女湖を中心に、文化センターやテニスコートなどが整備されている、大きな公園です。



乙女駅も美里駅と同じく1面1線の棒線ホームですが、しなの鉄道と平行区間にあり小海線だけホームがあります。
画像のホーム側が小海線、右2線はしなの鉄道線です。



駅ノートを描き、後続の列車で乙女駅を後にしました。
この後、小諸からしなの鉄道線に入り高崎駅に向かいます。
ちょうど日も暮れ始め、小諸駅ではきれいな夕焼け空を見ることができました。



この頃使っていたデジカメですが、SONYのサイバーショットDSC-P8という機種でした。
当時はのデジカメは、今ほど高性能ではなく日が落ちると撮影が難しくなります。
そのため日没から翌朝までの画像が、ごっそりとありません。

列車は小諸駅を過ぎたあたりで日が暮れ、夜のしなの鉄道を走り、軽井沢駅に着きました。
ここでバスに乗り換え横川に向かいます。
暗闇の中、バスで碓氷峠を越え、横川駅に着きました。
横川駅で有名な駅弁を何とか買うことができ、横川駅から乗り込んだ高崎行きの車内で晩御飯です。
おぎのいやさんの峠の釜飯です。




容器はちゃんと持って帰り、2015年現在も家にあります。
日没の信越本線を走り、高崎から一路、両毛線に入り前橋大島を目指します。
ここでは、スーパー銭湯のような温泉施設「七福の湯」を楽しみました。
露天風呂に引いてあるのが掛流しの源泉だそうです。
十分温まった後は、高崎まで戻りムーンライトえちごに乗車、夜中のうちに新潟に向かいます。
残念ながらこのあたりの画像も一枚もありませんでした。

2008年10月12日(日)

高崎→新潟→坂町→羽前松岡 ◆
4:54、米坂線に乗るために、新潟駅から坂町駅に向かいます。
なんだかうまく眠れず、うつらうつらしながら坂町駅着、5:34。
しかし、米坂線の始発7:15まで1時間半ほどあります。
駅前にコンビにでもあるかなと、いきあたりばったりに駅前をうろうろ撮影しました。
当時はスマホもなく、簡単にマップを検索することもできなかった時代でした。
当時の記録では、「ヤマザキはあったが閉まっていて、コンビニはなかった。」とのことでした。





結局1時間ほど町を散策して、駅に帰ってくると、米坂線の始発列車が入線していました。
まさかのキハ52の国鉄色。
眠気と気だるさと寒さと空腹が一気に吹き飛びました。




キハ52-137号機。
この車両は、2011年にフィリピン国鉄に譲渡されている車両です。
当時はまだ現役でした。





2両編成のもう一両はキハ40-560。
この車両は2015年現在まだ稼動いているようです。



早朝の米坂線を進みます。
秋らしく線路脇のススキが、列車風で激しくなびきます。



おそらく越後金丸駅だと思われます。
ここで上下線の列車の交換です。
対向の列車はキハ47まではわかりましたが、何号機で現在どうなっているかは不明です。




列車は、この日1つ目の目的駅、羽前松岡駅に着きました。
駅前は畑と数軒の民家があるだけの小さなローカル駅です。
まるで鉄道模型のような駅です。



駅は1面1線のホームで、トイレ設備を備えた待合室があります。
も菓子の情報を調べますと、待合室が木造の古いものから、同じ場所に建て変わっています。
駅には駅ノートが設置されていました。
A4の大きなノートだったのを覚えています。





駅前の畑は枝豆が栽培されていました。
たわわに実り、おいしそうです。



駅の外です。
民家の間の小さな1本道を少し行くと国道113号に出ます。






駅ノートを描かせていただきました。
たしか駅入り口から畑を見ながら伸びをしているイラストだったと思います。
今となっては、お見せできないほど恥ずかしいイラストでした・・・
当時の記録は
「こういうローカル駅を訪ねると、時間の感覚が変わります。
ゆったり流れる田舎の時間、騒音のない静かな場所。
そこで、好きなイラストを描きながらゆっくり過ごす。
こんな贅沢な時間の使い方はないとおもいます。
駅ノートを描いていると、近所の子供が遊びに来ました。
きっとなじみがないんでしょうね、私の関西弁を面白そうに聞いていました。」とありました。

何をしゃべったのかは、もう覚えていませんがたぶん学校の話や世間話だったと思います。

羽前松岡 → 米沢 ◆

後続の列車で、米沢駅を目指しますが、運良く、国鉄色のキハ58+キハ28がやってきました。
この頃から、私の旅では、狙ってもいない車両にたまたま乗るケースが多いのです。



車両はキハ58-1022とキハ28-2371です。
調べてみますと、この2両は、2009年に定期運用を終了し2010年に廃車になっていました。
いまや貴重な資料になってしまいました。



列車は手ノ子駅を過ぎ、米どころ米沢平野を進みます。




やがて終点の米沢駅に到着です。
米沢駅で改めて、列車を撮影します。
このとき選考で到着しているキハ52と並ぶ貴重な写真が撮れました。







2008年といえば、まだまだ国鉄時代のキハが現役で、少しずつ廃車や置き換えは進んでいるもののまだまだ大丈夫な頃です。
2015年現在、米坂線は新津運輸区のキハE120とキハ110系に置き換わり、キハ40、47、52、58の運転はなくなってしまいました。
当時は、そのような事などこれっぽっちも気にせず旅を進めています。
当時の記録にも、 「思いがけない車両に乗れたものの、乗ってしまえば普通の車内。
こういうのはやはり外から撮影するのがいいのかもしれません。」などと生意気なことを書いていました、すみません。
今となって、もっとたくさん撮っておけばよかったなぁと思います。
さて、旅は、米坂線から奥羽本線、東北本線から磐越東線に入ります。