2015年8月8日(土)

西大塚(12:44発) → 羽前成田(13:04着) ◆
西大塚の次は、羽前成田駅にやってきました。
山形鉄道の中では一番歴史を感じる駅で、国鉄当時の看板や貼紙がそのまま残されている貴重な駅です。
西大塚から20分ほどで到着しました。
早速下車します。



ホームは1面1線の棒線ホームで、古い駅舎がホーム中ほどにあります。
ホームの赤湯方は花壇になっていて、地元の方によりきれいに整備されています。
夏の花々や、青々と茂った花壇を楽しませいただきました。




駅舎でまず目に付くのは、古い駅名看板です。
黒板型と呼ばれているようですが、黒板のような濃紺や黒、濃緑の木板に白いペンキで駅名が書かれている看板です。
当時はパソコンでちょちょいのデザイン、ちょちょいの印刷・・・というわけに行かない時代ですから、完全手書きです。
その為、独特の手書きの味が出ていたり、モノによっては誤字があったりと、味のある看板になっています。
羽前成田駅の黒板型駅名看板は、それほど痛みもなくまだまだ現役です。
ただ、国鉄時代の看板なので、両隣の駅間に新駅ができているので、表示が異なります。




駅舎の中に入ります。
今は無人駅ですが、国鉄当時は有人駅で荷扱いもあったようです。
当時は宅急便やゆうぱっくなどはなく、荷物を送り自宅で受け取る仕組み自体がありませんでした。
出人が荷物を国鉄の貨物で送り、受人が荷物が届いた最寄の取り扱い駅に取りに行くシステムでした。
荷物の受け渡しに使われた窓口がチッキ台で、切符の窓口から1段低く造られています。
右画像の右側がチッキ台です。



切符の窓口の上には古いホーロー製の看板が揚げられています。



普通運賃表です。
山形県ですが、遠く大阪・京都・神戸・広島方面までの記載があり、急行や寝台料金まで記載があります。
今のような、プラ板に印刷された電光看板などはなかった時代。
このようなレトロ感を楽しめるのも、この駅ならではです。



珍しい看板がありました。
出し人や受け人が分からない荷物が届いていますよ、という旨の掲示です。
今で言う、荷物事故のようなものです。
当時は、荷扱いが今ほどの技術がなかったので、輸送中に荷札がはがれたり破損や行方不明になることもあったようです。



駅舎の外に出てみます。
駅舎は木造で、とても歴史を感じる造りになっています。
唯一駅看板だけが、山形鉄道標準の物に取り換わっていますが、その他は当時のままです。
駅前は、のどかなローカルな住宅地が広がります。
大きい建物は病院で、この日はたまたまお祭りか何かで屋台の準備をされていました。




駅ノートが設置してありましたので描かせていただきました。
この風景がすごく気に入りましたので、描いてみます。



駅ノートは地元のグループ「おらだの会」により大切に管理されています。
おらだの会 http://samidare.jp/orada/



何せ暑いのですが、駅のホームは少し風が通って涼しかったです。
こうやって寝転ぶと気持ち良いだろぉなぁ・・・と想像で描かせていただきました。




すごく過ごしやすい駅で、ゆっくりさせていただきました。
後続の列車で次は、白兎駅を訪問です。
後日談ですが、おらだの会のブログでイラストをご紹介いただき、ありがとうございました。

羽前成田(15:19発) → 白兎(15:25着17:35発) → 羽前成田(17:38着17:52発) → 荒砥(18:08着18:25発) → 今泉(18:57着19:29発) → 米沢(20:02着) ◆

羽前成田から10分弱で白兎駅に着きました。
なぜ、白ウサギ?
と思ったら、実際の地名でした。
長井市白兎・・・あっ、なるほど。
別にウサギと触れ合えるわけでもなく、すごく小さな、1面1線の簡単な駅でした。
真ん中に小さな待合室があって、ウサ耳をデザインしたペイントがあります。



紹介はこれだけしかできません。
あとは何もありませんでした。



駅前はずっと田んぼ。
青々とした草いきれがたちこめる、夏のにおいがします。




駅舎の中に木彫りのウサギが鎮座していますが、目が怖い・・・
でも耳にくぁ良いぼんぼりがつけられていました。
駅ノートが設置されていましたので、描かせていただきます。



単純な棒線ホーム、特にカーブのない線路、山と田んぼの背景・・・
本当にのどかな田舎の田園風景は特に何も特徴がなく、一面田んぼが広がる光景です。
何事もなく、1時間かからず描けてしまいました。




全国区の駅ノート絵師の木葉きろはさんがイラストを残されていましたので、ツーショットです。
ほほぉ、バニーガールですか!私も白ウサギときいてバニーガールを真っ先に連想しました。
次に月野うさぎとちびうさ、その次に、佐野タカシ原作の漫画「うさぎちゃんでCUE!」のミミカが出てきましたよ。
妄想よ!どっかいけ!邪念を払って、普通に描かせていただきました【笑】
木葉きろはさんのイラストは本当にどこでも見かけます!本当に行動範囲が広い!

実はこの時、熱中症のような感じになってしまいました・・・
ほとんど水分を取っておらず、日陰といっても待合室の中は暑く、ぐったりして頭も痛くなってきました・・・
またこの駅周辺には自動販売機もありません。
後続の列車で荒砥方面に向かう予定でしたら、いったん手前の羽前成田駅に戻ります。
羽前成田駅で飲み物を買い、少し休憩すると楽になりました。
この時、羽前成田駅近くの病院ではお祭りが開催されており、山形らしく花笠音頭が流れていました。
再び、終点の荒砥駅方面に向かいます。

荒砥駅には18時過ぎに到着しました。
1面1線のホームに立派な駅舎があります。
構内には複数線路があり、保線や留置用に使用され、車庫があります。
またホーム先端から少し先は線路が途切れています。
国鉄時代は蒸気機関車の時代はここでSLの給水や、機関車の向きを変える機回しが行われたり、にぎやかだったのでしょう。





荒砥駅の駅舎は立派で、荒砥地区の玄関の駅です。




午後6時を回ると、やがて日が暮れてきます。
夕焼け時の山形鉄道は、どことなく寂しい雰囲気です。



荒砥駅は20分ほどの滞在でしたが、これで山形鉄道の旅は終了です。
途中の今泉駅まで向かいます。
今泉駅はJR米坂線の接続駅で、ここからJRで米沢駅に戻る行程です。



ただ残念な事に、山形鉄道とJR米坂線の接続が悪く、1時間ほど待ち時間がありました。
ホームや跨線橋から、いろいろ撮影して楽しみます。



ホームを撮影していると運よくJRの車両がやってきました。
キハ110と111の2両編成、快速べにばな号新潟行きです。
秋田や山形からの帰り奥羽本線を経由し米沢からこの列車を捕まえ、終点の新潟泊した事があります。



快速列車が去ると、再び静かな今泉駅に戻ります。
画像は、カメラが自動的に補正してくれていますが、実際は結構暗いです。





やがて19時半ごろ、米沢行きの普通列車が到着しました。
もう外は真っ暗・・・特に撮影する事もありません。
30分ほどですが、眠って過ごし、終点の米沢駅に戻ってきました。

ここまで乗車して来たキハ110と、米坂線のキハ110の置き換え車両キハE120が翌日の出動待ちで止まっています。



実はこの日、ほとんど食べていません。
食べたといえば朝に買った峠の力餅くらい・・・
おなかペコペコなので、米沢駅名物の駅弁、牛肉どまん中を買って、ホテルでいただきます。
あっ、これ、おいしいわぁ・・・・少し甘めのそぼろ状のお肉がごはんとよく合います。
しかも肉は米沢牛!
でも、違いの分かる私ではありませんので、ひととくくりにおいしかったです・・・というのが私の食レポでした。




長かった山形鉄道の旅も終了です。
翌日は、仙山線を抜け、東北太平洋側に抜けます。