2008年10月13日(月)

青海川 → 直江津 → 親不知 ◆
青海川駅から信越本線、直江津駅で乗り換え、北陸本線に入ります。
2015年北陸新幹線開通に伴い、ここから金沢駅までが第三セクターになりました。
当時の北陸本線と言えばこの車両、419系。
2011年に521系に置き換えられ姿を消しました。
583系の寝台列車の改造で、583系の顔を残すのが419系、中間車改造で運転台を付けたのが418系です。
ここではまとめて419系とします。

こちらは中間車改造、通称「食パン」呼ばれています。



窓の形状は寝台列車当時と同じ高さにあります。
改造され、上段の窓が撤去され、ドアの位置が変わったのが見た目に大きな変化です。






419系4号機。
調べますと、もともとクハネ581-15号機改造との事でした。



583系顔の419系。
非貫通改造されていますが、4箇所の金属のドア受けレールは残されたままです。
まゆげみたいでかわいい!



419系の内部です。
シートのモケットは取り変わってますが、ボックス席の形状は583系のままです。
シート部分は、引き出して寝台にされないようにネジで固定されています。
上段の寝台も同様にネジで固定されています。
寝台を引き出す際に邪魔になる網棚は固定されていないので、本を開くように通路側に180度倒すことができます。
改造されているので一部がロングシートです。
寝台当時、2基あったトイレは1つが閉鎖、洗面所は取り壊されシートや立ち席スペースになっています。
通路は狭く、天井に設置されている真四角のエアコンは583系の当時のままです。







親不知 ◆

列車は親不知駅に着きました。
この日2つ目の目的駅です。
419系を見送ります。



ここで反対のホームには直江津方面行きの列車が到着しました。
窓の配置とドアの形状から471系と思われます。



親不知駅は島式ホームの駅です。
ホーム幅はやや狭い感じがします。
ホームから海が見え、海岸沿いに高速道路が通っています。




構内踏切で駅舎とホームを結んでいます。




2015年3月にえちごトキめき鉄道に移管された駅ですが、2015年現在も駅舎は当時のまま残っています。
駅の中には歴史を感じる看板が残っています。




駅舎はこじんまりとした小さい駅舎です。
ここから、親不知海岸まで歩いて行ってみます。



駅を出て郵便局を目指します。
郵便局あたりに、線路を渡る跨線橋があり、北陸本線を越えます。
訪問当時は海側に使用されていない貨物用の留置線がありました。




跨線橋を降りるとすぐに親不知海岸です。
駅から10分程でした。
親不知の云われは、知らぬ間に子供を波にさらわれてしまった事から「親不知・子不知」の名前が付いたとされています。
私が中学生の頃、日本地理の授業で、親不知海岸の説明を受けた事があります。
街道かどうかわかりませんが、波打ち際に道があったようです。
昔からこのあたりは波が強く、ところどころに波から退避できる場所があって、引き波の際に歩を進め、大波が来ると走って退避場所に避難するとの事でした。
今や高速道路が走り、鉄道が走り、山側にも道ができて安全に通過できる場所ですが、海岸に打ち寄せる波は当時と変わりません。
海岸地形を見ていると、すぐ手前数メートル先で突然深くなっているのがわかります。
そのため、ふざけていると本当にさらわれそうなくらい強烈な波が襲ってくるのが、今でも忘れられません。





親不知 → 泊 → 富山 → 福井 → 南今庄 → 敦賀 → 長浜 → 大阪 ◆

いよいよ旅も大詰めです。
親不知駅から乗車した列車はまたしても食パン、419系。
でも当時はそれほど珍しくなく、別に撮影することもなくスルーしています。
次の目的地は泊駅。
親不知を1本前の列車に乗車し、1駅下車し所定の列車に乗り換える行程だったと思います。
駅前の小さな食堂でご飯を食べたことも覚えています。
泊駅で419系を見送ります。



泊駅にはレンガ造りのSLの給水塔が残っていました。



485系リニューアル車の特急北越が来ました。
2015年3月に廃止になった特急で、金沢-新潟間を結んでいる特急でした。
泊駅は一部停車駅に指定されていました。
当時リニューアル車両を見るのが珍しく、写真に取ったのだと思います。



泊駅の改札口と駅舎。
2015年現在でも有人駅らしいです。
駅前はロータリーになっていて、きれいに整備されています。




泊駅で昼食を取った後は、後続の列車で大阪方面に向かいます。
途中富山駅で、氷見線に入るキハ40「忍者ハットリくん」のラッピング車に出会いました。
この塗装ですが旧塗装で、2011年に塗装が更新されています。



加賀温泉駅で後続の特急列車の通通過待ちです。
後続の特急は特急雷鳥485系、2015年現在この車両はすべて683系に置き換わっています。
運良く、札幌行きの寝台特急トワイライトエクスプレスが通過しました。
2008年当時から寝台特急は末期と言われていましたが、まだトワイライトも日本海も現役の頃です。
ちなみに、この年の3月に日本海2号、3号が廃止になっていました。
原色の特急雷鳥自体はそれほど珍しくなかったので、写真は見切れています。
もっとちゃんと撮っておけばよかった。



福井を過ぎ、南今庄駅で下車しています。
この旅最後の目的駅です。
この駅は当時は駅ノートが設置してあり、記帳の為に下車したんだと思います。
2面2線の対向式ホームで構内踏切で結ばれています。
画像は明るさを調整していますので明るく見えますが、実際は真っ暗でした。






駅ノートを描いて、ホームで敦賀行きを待っていると、福井方面ホームにデカ目の457系がやってきました。
この車両は、元急行車両で、急行くずりゅうなどにも当てられた同系の車両です。
当時457系も419系食パンと並んで北陸本線の主力車両で、それほど珍しくもなく「あっ、デカ目が来た」程度で済ましています。
2010年ごろから北陸本線の塗装を青1色(通称:バケツ)に塗り替えられ、2015年全廃しました。



旅はこの後、長浜あたりから新快速で大阪へ帰ったと思います。
この頃は南今庄-敦賀間のデットセクションで真っ暗になるイベントがありました。
非常灯が付きますが、薄暗い車内で、デットセクションの動力のない状態でコトコト走るのが印象に残っています。
また、当時は18きっぷをフルに使う為、終電ぎりぎりに帰り、翌日普通に出勤という元気な私でした。

2015年12月現在この旅行記を作成していますが、レア車両が多く、写真を見返しても面白かったです。
また当時の車両の行方(ほとんどが廃車でしたが・・・)を追いかけ調べるのも楽しかったです。
機会がありましたら、過去の古い旅行記を掘り起こして記事にしたいと思います。